大学卒業後、パナソニックに就職が決まりました。約20年間京阪の
伏見稲荷駅から大阪の門真まで通勤列車で通っていました。
同志社香里中学は「香里園駅」の近くにあるため、その気になれば
何時でも母校に行くことが可能でしたが忙しくて一度も訪れたことが
ありませんでした。
その後会計事務所を開設して15年ほど経った数年前に同窓会誌が
届いたとき、「同志社香里大同総会祭」~若手の有名歌手のライブ
コンサート付き~のパンフレットが同封されていました。それを見て、
40年ぶりに一度訪問して見学したい気持ちになりました。
当日母校の玄関前に立ったとき、「場所」を間違えたのかなと周囲を
キョロキョロ見回しました。女子生徒がなんでいるのかな?もっと古びた
木造の校舎を見に来たのに、壮大で立派な建物ばかりです!!
...まるで「浦島太郎」の様な精神状態でした。
一瞬動揺しました。不安の中、直ぐに場所に間違いないか少し周囲を
歩いていきました。すると、「小さい池」がありました。この池を見たとき、
中学時代のイメージと鮮明に一致したのです。一つでも「面影」があって
良かったとその時ホットしました。
...よく考えれば、中学時代から40年も経っているのですから。
このような気分は、久しぶりに母校を訪問した人は同じように感じる
のではないでしょうか?
その日はライブを楽しんだり、おでんを食べたりしてゆっくりくつろがせて
頂きました。
2009年7月 5日 10:20|その他
私は中学校・高校ともオンボロの木造校舎で授業を受けました。
現在は都会ではどこでも小学校から大学まで立派で豪華なコンクリートの校舎
や体育館等を装備していますが半世紀前は都会でも木造が多かったと思います。
その切れ目に生まれたのか、私が中学を卒業するととたんに新校舎が建て
られ、続いて高校でも卒業すると直ぐに新校舎が建てられました。それが今でも
残念やなと言う気持ちがあります。
...たいてい親は校舎建設の寄付をしていたと思いますが~
こうして経済が発展するにつれ、その「生活コスト」が上がっていくのだなと最近
実感として気づいています。
...当たり前のことですが、少子高齢化時代に入りその見直しが必要なとき
になっているかも知れません。
2009年7月 2日 09:47|その他
中学校時代の思い出で、今でも記憶に残っていることを2~3述べてみます。
まず、今回は「礼拝と賛美歌」についてです。
確か月1回か週1回「礼拝」の時間がありました。宗教担当の牧師の先生が
聖書に書いてあるたとえ話について説明と訓話をされるのが日課でした。
その時の私は、未だ人生経験がないこともあって、耳の右から左に筒抜けに
なっていました。訓話のあと、牧師が「アーメン」と言われた後、時には我々
生徒は悪ふざけの小さな声で「ソーメン、ヒヤソーメン」と締め切った記憶が
あります。
私は個人的には「聖書」よりも「賛美歌」の方が気に入っていました。大きな
パイプオルガンの音色をバックに賛美歌を歌うと何か心が洗われる感じがしま
した。
2009年6月30日 09:54|その他
私自身は、中学校に入学するまでは今の小学生のような猛烈な勉強をしていませんでした。
...数年前、塾をしていましたのでその様子が良くわかります。
しかし中学校に入ると、確か中間試験とか期末試験とかいう名前の定期試験を受けることになっていました。
しかもその当時は、その試験結果を成績順に壁に張り出されて公表されました。
どうもこのように追いつめられると、負けじ魂が生まれつきあるのか、頑張なあかんなと試験前 に一生懸命勉強した記憶があります。
2009年6月26日 09:00|その他
その当時の同志社香里中学校は、男子生徒のみでした。みんなやんちゃ盛りで
よく些細なことでケンカしておでこに「でんぼ(こぶ)」などを作っていました。
しかし、怖い先生がうまく要所で押さえ込んでいたことを思い出します。
勉学面では、やはり「英語」をしっかり教えてもらいましたので、後々の受験勉強で
役立ちました。
...しかし、英会話は不得手でした。蕩々と英会話の出来る先輩がおりましたが、
「天才」で生まれつきの遺伝と思ったものです。
2009年6月24日 10:00|その他
2009年6月23日 16:18|その他
それでは、出生率と出生数を引き上げる具体的施策について、私の独断と偏見の考え方を述べさせていただきます。
1)施策1(ハード面)
出産された子供の数に基づき、お国からの給付金が増加するようなインセンティブが必要
と思われます。
...わかりやすく言いますと、現在中国で施行されている「1人っ子政策」の逆を行うべき
ではと考えます。
2)施策2(ソフト面)
次に、生まれた子供をいかに素直ですくすくと育てるシステムを構築するかが重要に思います。
大学を卒業して40年も経ちますと、今、学生たちは何を学んでいるのか私には分かりませんが、憶測では「家庭のあり方、親と子供の良き関係、嫁と姑のあり方」等はほとんど学ばずに卒業しているのでは・・と思います。
それで、例えば全国の社会福祉協議会で行われている「母親教室」や「健康健やか学級」等をもっと強力な組織に作り上げ「母親の人材育成」を実現すればいいのでは・・と思います。
併せて、「父親教室」等も必要と思われます。
偏った意見と自覚していますが、今の人の心に漂う「閉塞感」を打破し、将来に「夢」を抱く社会の仕組みの開発が今まさに必要な時だと思ったのです。
次回は、私の「中学校時代」に話を転じます。
2009年6月10日 15:23|その他
重ねて少し脱線することになりますが、私自身の「小学校時代を振り返る視点」で現在の日本の課題等を私なりに分析(?)していきたいと思います。
まず、以前にも述べましたように「少子高齢化」がドンドン進んでいます。
聞くところによりますと、このままの出生率では2050年には人口が8千万人、2100年には4000万人、200年後にはたった800万人になるそうです。
現在は、しゃべれる高齢者が「介護が問題!介護が問題!」と騒ぐので、人・物・金が高齢者の方に集中していますが、私はどちらかというと「少子化」の方がきわめて大きな問題と認識しています。
赤ん坊や児童は全く叫べないので、声が小さくなり、大きな問題が隠れてしまっていると思われます。
第2次世界大戦以前は、「産めよ、増やせよ」という国家の大号令により、一家族で5人位の出生は当たり前だったと思います。
この傾向は終戦直後のベビーブームに続いています。
これが10年から20年後、若者の人口増であらゆる産業が伸長する根本の要因となっています。
児童たちも5人もきょうだいがいますと、その間で「生存競争」が生まれ、切磋琢磨できたと思われます。
結論として、われわれ国民の間で「出生数を引き上げないと我が国が大変なことになる」という危機感が極めて不足していると感じています。
次回は、その施策について所感を述べさせて頂きます。
2009年6月 8日 13:17|その他
前回の最後に『次回、私の子供の頃を思い出して「現在の子供たちの環境」について気がついたことを述べたいと思います。』と予告いたしました。
そんな時にふと思い出しました。
最近NHKのテレビ番組を観ていますと、東京のある都市が「里川」作りを完成し、地域住民・・特に小さな子供達・・が大感激している場面にたまたま出くわしました。
もともとコンクリートで囲まれた「どぶ川」の水路を変更して「里川」に改良したそうです。
このことにより、
(1)公共工事で建設業者が潤う。
(2)もともとあった自然の環境が回復する。
(3)都会の子供たちに田舎での自然に囲まれた遊び場を提供できる。
という winwin(共存共栄)の関係になると思われます。
(補足)水がきれいになると魚が繁殖するそうです。魚が繁殖するとプランクトンを食べるため、川や小石の汚れをクリーンにするそうです(→善循環)
2009年6月 5日 10:57|その他
小学校時代で記憶に残っていることの続きです。
(3)夏休みに母の実家によく遊びに行ったものです。
親戚の子供たちと小川で魚やザリガニ捕り、葡萄採り、夜のカブトムシ捕り、花火などをして無我夢中で楽しんだことを思い浮かびます。
...現在と比較してその頃は「自然」に溢れていたと思います。
...6年間、塾などに通わず遊んでいました。
(4)その頃の小学校の先生は、常に背広を着て威厳があるように思いました。
...現在と比較しての良し悪しはあるとおもいますが。
次回、私の子供の頃を思い出して「現在の子供たちの環境」について気がついたことを述べたいと思います。
2009年6月 3日 13:16|その他